六華窯雪月花~News
六華窯の 「今」 をお伝えしていきます。
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六華窯雪月花~News No.113
3.11 東日本大震災から10年
「早や、10年が過ぎました。復興もまだままならぬ日々にあります
2015年に奈良薬師寺<吉祥天女が舞い降りた!>東日本大震災復興祈念特別展~
仙台市博物館で開催された折、元管長・山田法胤様にお会いし、自作の「結晶釉透彫共蓋壺」を薬師寺に奉納させて頂きました。
文化財60点~<吉祥天女>は、天女の持つ「宝珠」は人々の願いを叶えてくれます。
被災者が3.11での自分の痛みを投げかけて、話しかけ救いになりますように・・・
と管主様がお話し下さいました。
◆東日本大震災復興祈念特別展 仙台市博物館
国宝 吉祥天女が舞い降りた!
-奈良 薬師寺 未来への祈り-
↓
https://www.museum.or.jp/event/84095 六華窯 公式ホームページ
六華窯雪月花~News No.48
随想「無限の時間」
最近、久しぶりに徹夜をした。学生の頃は一夜漬けを特技としていたので、試験の前など、それが2,3日続こうが何とも思わなかった。私を含め、どうも夜型の人間は朝まで「無限の時間」が続くような錯覚の中で生き、そこに自分を取り戻す世界を見つけようとする。暗闇が昼に見る様々な限界を取り除き、それが永遠に続く可能性を秘めているように思うのである。朝陽が昇と同時に急に現実に戻され、時間という制約が一気に迫ってくるような焦りを感じてしまう。
ところがどうであろう。200年前、ゲーテの住む北ドイツ地方の朝は、9時になってもようやく東から太陽がゆっくり顔を出したかと思うと、冬の厚い灰色の雲間に、かく言うゲーテの「上空の雲は縞をなして羊毛の如く、下方の雲は重く垂れ下がっている」陰鬱な昼の一日が始まる。これでは夜の「無限の時間」を楽しむといったことが出来たのであろうかと、ふと考えた。時には冷たい霧に森や町は包まれ、通い慣れた仕事場への道の石畳を街灯の光が照らす。一日中が「無限の闇」と錯覚するほど、それが4か月近く続くのである。
そん北ドイツの北方的な、ゴシック的な悩みから逃れて、アルプスのブレンナー峠を超えてイタリアに行こうと決心したゲーテのその時の気持ちは、私には計り知れないが、彼の南欧に対する憧れは、中世から気候風土や文化史的にも宿命的なものと思われる。
理由はともかくとして、いわゆる沈まぬ太陽に憧れて、イタリアに旅立ったように思えてならない。
9月のある早朝、だれにも告げず逃れるようにして出発した彼は、ベローナからベネチア、そしてアッシジを経由して、5か月かかってローマに入っている。
ローマに入った彼は言う「この地に全世界史が結びついている。そして私は、このローマに足を踏み入れた時から第2の誕生が、真の再生が始まる」と。
この地で彼は「無限の時間」に歓喜したことであろう。
今朝、私はそんなことを考えながら、遠くに見える蔵王の陽光を眺めていた。
< dolce-vita-la-fellini >
「甘い生活」1643年・フェデリコ・フェリーニ監督の映画の界隈を歩く.
左はMAJESTIC HOTEL 1889年ー創業のベネット通りで最古のホテル
ライムグリーと金色のラウンジやパブリックスペースの装飾は、昔のまま
に残されている。
映画の舞台になったエレガントなベネット通り(VIA VENETO、ROMA)
入口を入ると、布の美しい色々が目に飛び込んできた
ワクワクする。
「太陽の光で、見てみましょう」と店のご主人
なるほど・・・自然光に美しく「赤」がそれぞれの色を放つ
まさしく、 ♫TRUE COLORS ♫
イタリア人の色へのこだわりが良く分かった瞬間だった。
決して、一ミリもゆずらない自分の審美への目と確信。
歌手Sindi Lauperも歌っている、TRUE COLORSを。
私も「沈まない太陽の光」に憧れて、イタリアへ何度も旅をして
いるのだと思った。
六華窯雪月花~News No.47
随想 「秘密の銀行」
3月1日は渓流釣り解禁日である。 相棒の菊池と釣りを始めて38年になる。 いつもこの時期になると、どちらからともなく電話を掛ける。
「オイ、じゅんびしとけよ」
夜、ウイスキーのグラスを片手に、山奥のなじみの源流のポイントを思い浮かべながら仕掛けを作る。 これが何とも無性に楽しい至極の一刻である。 様々な川との出会いがあって思い出すだけで懐かしい。
まずは、スーパーで食料を調達することから始まる。 たいていは、彼が料理を担当してくれるのだが「今晩はスペアリブとクリームシチューでいくか。 それに野菜は途中で山菜を採る。 ビールとバーボンウイスキーの小瓶ヨシ!」といった調子で、山での楽しみの一つ、夕食のメニューをつんででかけるのである。
2時間走って高速を降り、いくつかの村を通り過ぎて、いよいよ釣り場の入口の林道に入る。 さらに車で行ける処まで分け入り、その後は歩きとなる。 テントに載せたリュックの重みが肩に食い込み、二つの尾根を超えるのに、ロープをつかいながらの2時間半、ようやく目的の釣り場にたどり着く。 標高600メートルの高さにきたであろうか。
既に夕暮れが近づき、早めの食事の準備にとりかかる。 たき火にあたり、川音を聴きながらの男たちの山の「夕メシ」は、なかなか経験できるものではない。 スペアリブに添えられたタラの芽も、その肉汁が浸みてほろ苦く、けっこう乙な味である。
満天の星空に、人工衛星の光りが頭上を通過していくのを見ながら、残りのウイスキーを飲み干し、明朝一番、おのおのの銀行に貯金を下しに行くことを楽しみに眠りに入る。
山菜取りやキノコ狩りをする人も恐らくそうであるように、釣り人にも必ず釣れるという自分たちの<秘密の場所>があり、それを絶対に人に教えたくないのである。
相棒とわたしは、これを<銀行>と称し、半年の禁漁期間の利息が尺の岩魚(イワナ)になっていることを期待しながら毎年この場所にやってくる。
水音をたてぬよう警戒しながら、上流へと上がるにつれ足元の水も一層冷たく感じられる。
銀行に近づくと、そこは一年前と変わらない美しい渓相が二人を待っている。
ここからは秘密である。
果たして今年はどんな出逢いがあるだろうか。
「今年は6月に松屋銀座の個展を控え、残念ながら渓流釣りに行けなかった。
秋になり、残念だったな・・・と思っていたところ、友人の加藤君から隠岐の島の釣果が届いた。 彼は先月、アラスカで大きなキングサーモンもゲットしている。
何ともうらやましい釣行である。 早速その釣果で晩酌が楽しみだ。」
「友人の例年の隠岐の島の釣果が届いた朝
騎士ハタに~盾持ちのカサゴも、存在感あるな~」
ほっき飯を作ってクール便を待つ。<騎士ハタ>&
一人の騎士を主人と仰いで、身の回りの世話から、
戦場へ~の<スクワイアーカサゴ>がやってきた。 .
明日は第2段のタイがつくのを待つ幸せ・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「早速、加藤君からのメールと楽しい写真が届きました。
美しい大海原と大釣果のコミカルな雰囲気伝わりますね~
「岩井 純 様
早速見事に捌いて食して頂き、ありがとうございました。
台風12号が接近してきたため、予定を1日半繰り上げて今帰宅しました。
今回は(も)大漁でした。昨日の釣果を添付しました。今回の参加者は4人ですが、それぞれ2人ずつの釣果です。ヒラマサ、ブリ、ヒラメ、カサゴ、などいずれも大物ばかりで、今年のマダイが小さく見えます。加藤」
六華窯雪月花~News No.43
随想 「父の命日」 マンサクの春、父を想い出す
切り絵集から 「泉ヶ岳とマンサク」 岩井 昂
仙台市都心部から見て北西に位置する泉ヶ岳は、太平洋も見渡せる。
南東斜面にあるスキー場でも有名。 蝶の群生地でもあり時々足を運ぶ。
この随想に寄稿するようになって、早速友人達から電話が入った。
その度に、そろそろ書くことがなくなって困っている、と答えると
「俺のことは書くなよ」と、忠告とも逆に催促ともとれる返事が返って
皆良き友である。 人生を丁寧に、そして楽しく遊ぶ術をよく知って
いる仲間たちだ。
陶芸の仕事を通しても実に多くの人々との出会いがあり、一人
ひとりが私にとって掛け替えのない財産である。
その意味でも、陶芸の道に進もうと決めた時、黙って京都に行か
せてくれた父に感謝する。 今あの時の父の心境を考えると、自分
が果たせなかった画家への夢を息子にたくしたように思えてならない。
父の専門は機械工学であったが、医学との共同研究が主だった。
人間の歩行を調べ、機能的な義足の研究に取り組み、また、今の
CTスキャンの前身となったレントゲンの断層撮影の器機を開発した。
それが認められ、医学博士号をもらったが、
「聴診器が使えない医者だ」とよく冗談に言っていた。
若き日の夢を趣味に生かし、山に登る時はいつもスケッチブックを携
え、蔵王や飯豊山などをモチーフにした作品をかいていた。
還暦を迎えた時、両親と三人展を開いたが、しぶしぶ承知した父が、
会場に来てくれた多くの友人たちと談話し、その喜ぶ顔を見た時、今
の私の心のつかえていたものが消えたような気がした。 これを機に、父
に個展をする事を進め、本人もそのつもりでいたと思う。 しかし、予期
せぬ病に、またしても夢半ばにして叶わぬものとなってしまった。
個展のために準備していた八十点余りの作品は、三回忌に遺作展
を兼ね 『切り絵と陶芸の二人展』 として見てもらった。
私は、昨年から障碍者の施設「二房しらかば」でクラブ活動の陶芸の
手伝いをしているが、生徒さんの中には、父が一時、宮城教育大学の
養護学校の校長を兼任していた時の卒業生もおり、いつの間にか自分
も父と同じ道の上に立っていることに気が付いた。
しんしんと降る雪の夜、ひとり仕事場でウイスキーをやっていると、煙草
を吸いながら、切り絵を切っている父の姿が浮かび、無性に懐かしくなる。
15日は父の八回忌だった。大好きだった酒を初釜の徳利にいれて仏前
に供えた。
(以前掲載された河北新報より)
「雪のパラダイス(屏風岳・蔵王)」
大学山岳部の顧問をしていた山男の終生愛した蔵王。
「松島 瑞巌寺」
松島観光を楽しまれた、台湾からのお客様とギャラリーで。
六華窯雪月花~News No.42
随想 「アントワープのゴッホ君」

「ノンノン ムッシュー! あなたを疑っているわけではありません。
単なる小さな問題です。 ただ、その問題が何故か私の脳細胞を
刺激するんです」。これはおなじみの名探偵ポアロのせりふです。
容疑者から背の低さを陰口された時に、むっとしたように口ひげを
跳ね上げるシーンを、ふと思い浮かべた瞬間、私の乗った電車は
アントワープの中央駅に滑り込んだ。
チケット売り場がある一階に下りると、そこは百年前に建てられた
ルネッサンス様式の大ドームだ。 待合室のキャビンにはルイ王朝
風の大時計が時を刻んでいる。 皆が利用するこの壮麗な駅舎は
国の重要文化財であると聞き、ここでも、他のヨーロッパ諸国で見ら
れるように、日本の非日常がベルギー国民の日常の風景なのかと
思った。
その時、右手のアーチの出口の向こうに、油絵のような街並みの
風景が雨にかすんで見えたので自然に私の足は、その明かりの方に
向いた。 この町は、初めて訪れる旅行者をもやさしく迎えてくれる
雰囲気をもっているというのが第一印象であった。
小雨にぬれながら約束の場所に立っていると、小柄なゴッホ君が、
人懐っこそうな顔で現れた。 昨年の七夕に友人に連れられてフィア
ンセとふらりと我が家に来て以来半年ぶりの再会である。 私達夫婦
は一瞬にしてこの若き青年の不思議な魅力の虜になってしまい、こう
して憧れのアントワープを訪れることになったのも何かの縁であろうか。
彼はその名の示す通り、あの画家ゴッホの末裔である。
画家ゴッホはフランスに移る前にアントワープに住んでいた時期があり、
この地より弟のテオにパリ行きを願い出る書簡を送っている。
巨匠の自画像と見比べた時、彼の眉から額にかけてその面影が残っ
ている。 彼は大学で教える一方、家具デザイナーでもある。
フィアンセの事を尋ねると、ちょっと心配そうな顔になったが、彼の灰
色の脳細胞がうまく問題を解決するであろう。 再会を約束して、この
街を後にした。
(以前掲載された河北新報より)
Boutonniere ブート二エール(胸の花飾り用ピン)
名探偵ポアロのドラマ『チョコレートの箱』で、彼が欠かさず付けている胸の花
飾りが実にエレガントである。 ベルギー警察の警官時代に、依頼人で親密な
婦人から贈られたもの。 お互い胸に秘めた恋で終わるが、彼がドラマ中で
一生付け続けているという意味で、ポアロの淡い恋心を見るたびに感じる。
『オリエント急行殺人事件』でも付けている。
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