六華窯雪月花~News
六華窯の 「今」 をお伝えしていきます。
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六華窯雪月花~News No.43
随想 「父の命日」 マンサクの春、父を想い出す
切り絵集から 「泉ヶ岳とマンサク」 岩井 昂
仙台市都心部から見て北西に位置する泉ヶ岳は、太平洋も見渡せる。
南東斜面にあるスキー場でも有名。 蝶の群生地でもあり時々足を運ぶ。
この随想に寄稿するようになって、早速友人達から電話が入った。
その度に、そろそろ書くことがなくなって困っている、と答えると
「俺のことは書くなよ」と、忠告とも逆に催促ともとれる返事が返って
皆良き友である。 人生を丁寧に、そして楽しく遊ぶ術をよく知って
いる仲間たちだ。
陶芸の仕事を通しても実に多くの人々との出会いがあり、一人
ひとりが私にとって掛け替えのない財産である。
その意味でも、陶芸の道に進もうと決めた時、黙って京都に行か
せてくれた父に感謝する。 今あの時の父の心境を考えると、自分
が果たせなかった画家への夢を息子にたくしたように思えてならない。
父の専門は機械工学であったが、医学との共同研究が主だった。
人間の歩行を調べ、機能的な義足の研究に取り組み、また、今の
CTスキャンの前身となったレントゲンの断層撮影の器機を開発した。
それが認められ、医学博士号をもらったが、
「聴診器が使えない医者だ」とよく冗談に言っていた。
若き日の夢を趣味に生かし、山に登る時はいつもスケッチブックを携
え、蔵王や飯豊山などをモチーフにした作品をかいていた。
還暦を迎えた時、両親と三人展を開いたが、しぶしぶ承知した父が、
会場に来てくれた多くの友人たちと談話し、その喜ぶ顔を見た時、今
の私の心のつかえていたものが消えたような気がした。 これを機に、父
に個展をする事を進め、本人もそのつもりでいたと思う。 しかし、予期
せぬ病に、またしても夢半ばにして叶わぬものとなってしまった。
個展のために準備していた八十点余りの作品は、三回忌に遺作展
を兼ね 『切り絵と陶芸の二人展』 として見てもらった。
私は、昨年から障碍者の施設「二房しらかば」でクラブ活動の陶芸の
手伝いをしているが、生徒さんの中には、父が一時、宮城教育大学の
養護学校の校長を兼任していた時の卒業生もおり、いつの間にか自分
も父と同じ道の上に立っていることに気が付いた。
しんしんと降る雪の夜、ひとり仕事場でウイスキーをやっていると、煙草
を吸いながら、切り絵を切っている父の姿が浮かび、無性に懐かしくなる。
15日は父の八回忌だった。大好きだった酒を初釜の徳利にいれて仏前
に供えた。
(以前掲載された河北新報より)
「雪のパラダイス(屏風岳・蔵王)」
大学山岳部の顧問をしていた山男の終生愛した蔵王。
「松島 瑞巌寺」
松島観光を楽しまれた、台湾からのお客様とギャラリーで。
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